あまりにもよく眠ってくれるので、私は必要とされていないと思いました。

こんにちは。

昨日は、ママの働き方や夢について考える座談会に参加させていただきました。小さなお子様を持つ4人のママとたくさんお話しさせていただく機会をいただけて、本当に有意義な時間を過ごしました。

子供の睡眠の専門家としても、ほんの少しだけアドバイスさせていただく機会をいただけ嬉しい限りです。

そこでとても興味深いお話を伺ったので、ブログでもシェアさせていただけたらと思います。

赤ちゃんの頃のねんねについて話をしていた時に、ある方がこう仰いました。その方の子供は抱っこでしか寝てくれなくて本当に辛かった。でもそのことを同じ月齢の子を持つお母さんに相談したら、「私の子供は、あまりにもよく寝てくれる。もう私なんか必要ないんじゃないかと辛くなる…」と、その場で涙されたそうなのです。

それを聞いた私は本当に衝撃的でした。

赤ちゃんがたっぷり寝てくれるって本当にすごいことだし、ママは絶対助かるはずなのに、そういう風に思われる方もいらっしゃるんだということに。

そしてその涙された方は、もしかしたら本当に孤独でしんどかったかもしれないということに。

我が子に自分は必要とされていないと自分で思っているほど、痛くて辛くて苦しいものはないからです。

でも、お母さんを必要としていない子供なんて誰一人いない。

寝てばっかりでも、ぜんぜん泣かなかったとしても、ぜんぜん笑わなかったとしても、ずっと病院に入院していて看護師さんだけがお世話をしていても、母親を一番に必要としていない子供なんて、この世の中に誰一人と存在しない。

まだ上手に言葉にはできないのですが、やっぱりそう思うのです。

神様が与えてくれたママになったその人だけの特権。

それは、泣いてる子供を何とかしなさいとか、ご飯をしっかり食べさせなさいとか、抱っこし続けなさいとか、子供にイライラしてはいけませんとか、常に笑っていなくてはいけませんとか、そんな表面的なことではなくて、誰も入ってこれない絶対無二の母親と子供の世界。

それは、一緒にいようが、離れていようが関係ない。

世話が大変とか大変じゃないとかも関係ない。

ただただ、そこに繋がれたことに感謝が存在するだけ。

そして子供は無条件に母親を必要としている。

母親の世話を必要としているというよりは、「存在そのもの」を必要としている。

だからこそ、どんなお母さんだって子供の声なき声を無意識に必死で聞いている。

そしてその先の、それをお母さんがどう感じるかは、そのお母さんによって皆違う。

目の前の条件を苦しく感じたり、愛おしく感じたりするのは、その次の話。現実の世界で何十年も生きてきたお母さんの思考のフィルターが、それらを決めていく。

だからこそ、どんな条件であったとしても、体力的にも精神的にもしんどい時は、絶対に誰かのサポートが必要だと思っていて…

なぜかって、
本来の母親であるという特権を忘れて欲しくないから。

私だってそんな偉そうなことを言える立場ではないし、まだまだ未熟な母親ではあるけれど、少しづつ分かってきたような気がします。だから私だって苦しくなったら、子供のためにもその道のプロに助けを求めようと思っています。

神様が与えてくれたママになった人だけの特権に無条件で感謝できるようになることが、本当の意味でママである自分自身を認めてあげれることができるのかな…って。

そこに物理的な要素は一切存在しない。

まだまだ抽象的な文章でしか想いを伝えられないままでの投稿にはなりますが、これが今の私の精一杯ということでお許しください。

とにかくどんな形であっても、母親を一番に必要としていない子供なんてこの世に誰一人として存在していない。もし、私は必要とされていないと思うのであるなら、それは今世最大の苦しい勘違いだと思うのです。でも、その勘違いを自分で認めるには、人によってはものすごく勇気がいることでもある。だから、そこから目を逸らし「自分なんか必要ない」って思っている方が楽だったりもする。

人生いろいろ^^

だけど、自分が母親であるという奇跡を授かったことだけは忘れてはいけない。

最近は、ママでも夢を叶えたい、何かを成し遂げたいけどそれが何なのか分からない、今のままじゃ悶々する…、このまま子供とずっと一緒にいるだけの人生は違うなど、ママであっても女性としての自立を果たそうとされる方が本当に多くて…それは本当に素晴らしいことだと思います。私もきっとその一人^^

だけど、最近よく見かける「ママでも夢を叶えたい」ではなくて、「ママだからこそ夢を叶えたい」で在りたいと思うのです。

断然、源の強さが違うので。
なぜなら、そこには自分がママであることの「感謝」が存在しているから^^

そして、いつでも忘れたくないのは、自分が母親になれたこと自体がとてつもなく奇跡であり、物凄いことであり、どんな子育てでもそれ自体がすでに素晴らしくて、誰もが手に入るものではないということ。

だからママである自分を置き去りにして、何かを成し遂げようとするのではなく、まずはママであること自体が、何かを成し遂げようとする以上に価値のあるものだということ。

やっぱり形や枠にとらわれない「感謝」なんだろうな…書きながら自分で思います。

昨夜は、人様にいただいた高級ワンピースをあまりにも次女が気に入り、寝てる間も着て寝ると聞かなかったので、夜中にこっそり脱がせたら、数年ぶりに夜泣きしながら「ワンピースを着せろ」と泣き叫んだので、真夜中に高級ワンピースをまた着せたという、何ともカオスな夜になり、若干私切れましたが、そんな切れた自分も「奇跡の母親」ということで自分への感謝を忘れずにいたいと思います。

まとまりのないブログにはなってしまいましたが、ありのままの自分ということで投稿させていただきました^^読んでいただきありがとうございます。

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